設立からこれまでを振り返ってLookback

第1期

鷲田国際特許事務所設立の1996年当初は、業務の依頼も少ない状況でした。この状況が一変したのは1997年春。次世代携帯電話に係る特許出願依頼を大量受注してからです。当時は爆発的に携帯電話が普及し始め、国内外のメーカーが次世代携帯電話の特許獲得に凌ぎを削る出願競争で、瞬く間にオフィスは活気づいていきました。

ただ、その当時は携帯電話におけるCDMAの開発が始まったばかりだったこともあり、開発者による技術説明会や外部研修会への参加、移動体通信技術の専門家を採用することなどで、この未知の技術を習得するために、所員全員で必死に勉強することが必要でした。この徹底的な学びの姿勢は、今でも続いており、クライアントの期待に応えようと必死で学び仕事をし、そうして得た信頼がまた次の期待を生んで、それにも応えるべくまた努力してという繰り返しで今日まで来ています。

第2期

2002年の政府による「知財立国宣言」以降、知的財産権の認知度が高まり、多くの優秀な人材がこの特許業界に流れ込み、知的財産権を重視する国の方針の下で、業界全体が活性化し弁理士の数も飛躍的に増加しました。その一方、企業間競争は激化の一途を辿りました。その厳しい競争の中で、私たちは、しっかりと技術理解をして出願明細書を作成し、権利化価値のあるクレーム設計をする等、権利化業務の基本部分を大切にしながらも、クライアントのニーズに合わせて業務の多様化・国際化を段階的に進めてきました。

設立以来、数々の苦難が事務所にはありましたが、それでも今があるのは、クライアントが与えてくれたチャンスを実績に結び付けていこうと所員が一致団結し、努力を積み重ねてきた結果だと思います。

第3期

2008年10月のリーマンショック、中国・韓国・台湾企業の台頭等により、国内の大手電器メーカーは軒並み業績不振に陥り、知財部門は、出願件数の削減や 業務の内製化、更には人員削減を含むコスト削減のための大規模な構造改革を進めました。 同時に、企業は出願の数から質への転換を進め、日本の国内出願件数は、10年前と比較して25%程度減少しています。一方、外国出願は、日本企業のグローバル化を背景に増加傾向にあります。

このような状況の下、私たちは、海外で事業展開する日本企業をサポートすべく、オフィスの移転・統合、米国弁護士の採用、外国業務の改善に着手しました。

事務所の人員も徐々に増加し現在70名程度にまでなり、技術的には全分野に対応可能となり、内外の新たなクライアントからのご依頼も増加してきました。近年ご依頼いただく業務には、権利化業務だけでなく、大型の特許調査、鑑定、交渉サポート、知財業務の支援等々今まであまりご依頼をいただいていない業務の比率が高まってきています。

更に、外国出願業務については、各国の提携事務所と特殊な合意を取り交わし、外国事務所とのダブルワークを回避する効率的ワークフローを採用することにより、外国での権利化を低コストで実現する仕組み作りを進めました。また、米国アレキサンドリアに開設した米国支所を現地の既存事務所と合併統合するとともに、東南アジアの事務所と相互提携を進めることにより、権利化の必要性が高いこれらの国々のサポート体制を強化しました。今後は、このWASHIDA GLOBAL NETWORK の拡充を進めていきます。